INTERVIEW
多様な期待に応える、縦横無尽なものづくり
有限会社マサミ製作所
代表取締役 堀内正明
短納期、高品質、そして顧客のニーズを先読みする金属加工を手掛けてきた有限会社マサミ製作所。15歳でこの業界へと足を踏み入れた代表取締役の堀内正明さんは、創業社長である父とは異なるスタイルで会社を拡大・発展させてきた。その根底には「人に心地よくいてほしい」と常に心を配る温かさがある。堀内代表に、そのユニークな経歴と、ものづくり企業としての今後の戦略をお話頂いた。
金属加工一筋で40年
当社は昭和60年の創業より、金属加工業全般を営んできました。もともとはプレス加工で作った製品を電機メーカーへ卸していましたが、ここ12~13年はトラック製造に使われる部品がメインの商材となっています。トラックと一口に言っても、ダンプカーや冷凍車などさまざまですが、当社で最も多いのは、深夜の高速道路を走っているような、運送会社のアルミのバンに使われる部品です。主要取引先が電機メーカーからトラックメーカーになったというと、ずいぶんな変化だと思われるかもしれません。しかし、発注元であるメーカーが常にコストダウンを意識している以上、生産拠点が日本から海外へ移るなんてことは日常茶飯事です。したがって当社は、常に世間の動向を読み、お客様のニーズがある領域を模索し続けてきました。
結果、さまざまな業種の取引先と関われたことで、対応力の向上に繋がったと感じています。たとえば金属というのは、板金1つ取っても無数に種類があるために、会社によって「薄い板厚しかできない」「厚い板厚しかできない」といった偏りがどうしても生まれてしまいます。しかし当社の場合は、これまであらゆる依頼に応えてきた実績から、同業他社よりもバリエーション豊かな板金を提供できるだけの設備とノウハウがあるのです。
人生初の挫折と、ナイトワークとの兼業
当社は先代社長である父が創業した会社ですが、家業の承継についてはよく考えていなかったというのが正直なところです。それよりも、小学生の頃から熱中していたゴルフを生業にできないかと考えていたため、中学3年生のときはゴルフ部のある高校を受験しました。「この学校以外なら入学しても意味がない」という意気込みで1校に絞って受けたのですが、結果は不合格。1年浪人をしようか悩んでいるときに舞い込んだのが、同業を営む父の知人の会社で働くことでした。結果、同社で3年弱ほど勤めさせて頂いた後、18歳で家業に入ったという流れです。
しかし、若くして社会人になったがゆえに「このまま金属加工以外の世界を知らなくていいのだろうか」という不安も感じました。そこで始めたのが、ナイトワークの仕事です。今となっては若いからできたことだとは思いますが、昼はマサミ製作所で勤め、夜はクラブの店長やマネージャーとして働くという日々をおおよそ6年続けたのです。客商売は私の性格にも合っていて非常に楽しかったですし、どのような人に対してもフランクに接していくことができる営業力は、当時培われたものだと思っています。
会社の低迷時代を支えた地道な営業活動
先代社長は優秀な職人ですが、口下手で、対外的な付き合いはあまり得意ではありません。製品の生産量が減少傾向に入ったときも「仕事が来ないのだから仕方ない」と言い切ってしまうような人でした。その様子を見て危機感を抱いた私は、みずから新規開拓や顧客のアフターフォローを積極的に行っていくことにしたのです。ナイトワーク時代の接客経験が活きた部分ですが、フレンドリーに接していると「うちは夜の店じゃねえぞ」なんて怒られることもありましたね。それでも、1個でも2個でも多く受注させてもらえるならという思いで、20代の始めはとにかく、手当たり次第アポ取りの電話をかけて商談をするという泥臭い営業活動を根気強く続けました。その後、私は21歳で専務になり、今は代表になっていますが、いまだに月2回程度みずから新規営業をしています。「このお客様にどんなアクションを起こせば、取引先としてお付き合い頂けるだろうか」と考えると、なんだかワクワクしてしまうのです。
一方で、どれだけ営業力や対応力、技術力があっても、海外との価格競争は我々にとって永遠の課題です。その点については、当社も海外の同業者とパイプを持ち、お客様に低価で製品をご提供できるように努めています。当社とお付き合いを頂くメリットを1つでも増やしていければという気持ちですね。
周囲への気遣いと「ありがとう」で、社内を円滑に
大企業も、我々のような中小企業も、会社を運営しているのは結局同じ人です。ですから、その”人”に気持ちよく仕事をしてもらうためにはどうすればいいかという点が仕事の根幹だと私は思っています。私が初めて働いたときのことです。1日に1万~2万のネジ切り作業を行うことが当時の私の仕事で、社内のいろんな人が私のところへ品物を持ってきていました。そのとき気づいたのが、人によって態度がまったく違うということです。とある人は「次はこれお願いね」と穏やかに声を掛けてくれますが、別の人は「次これだから、どんどんやっとけよ」と横柄な言い方をします。その中で私は「渡す方も、受け取る方も気持ちよくなるにはどうしたらいいのか」とよく考えていました。そこで「ありがとう」という言葉をうまく使うことを思いついたのです。品物を渡す方は「(受け取ってくれて)ありがとう」、受ける方は「(持ってきてくれて)ありがとう」というサイクルが回れば非常に穏便ですし、誰もが気持ちよく作業できるのではないでしょうか。それくらい「ありがとう」という言葉は、何もかもを含めて丸く収める力のある言葉だと思っています。
ここ数年で意識していることは、朝1人ずつ社員と顔を合わせて、どういう顔つきなのか、機嫌がいいのか・悪いのか、もしくは悩みがあるのか・ないのかといったところを確認することです。まっさらな気持ちで仕事に向かってもらうためにも、皆の些細な変化に気づき、何かあれば吐き出せる場所を作ってあげることが、社長である私の仕事だと思っています。幼い頃から人の機嫌や顔色を敏感に察知するタイプだったので、そんな性質が今にも影響しているのかもしれません。
先の時代を見据えた戦略を
個人的には、この先3~4年で社会は大きく変化すると思っています。まずは少子化による人材不足です。どの企業もすでに問題視しているかとは思いますが、今後はさらに人材確保が難しくなるでしょう。この点当社は、設備投資を通じて自動化を図り、人の手が回らない部分の補填に充てていきたいと思っています。また、政府が現在推進している価格転嫁(原材料や光熱費、人件費などの上昇分をサービス価格へ上乗せすること)も見逃せません。大手企業に製品を納めている我々のような中小企業は、昔設定された低価格のコストテーブルのまま運営を続けているケースが多いのです。しかし昨今の値上げラッシュを鑑みれば、あらゆる企業が限界を迎えているのが実情ではないでしょうか。私としては、価格交渉促進月間をうまく活用しながら、今の世相に合ったサービス価格を再設定し、価格転嫁できた部分については従業員の給料アップに繋げたいと考えています。
この先、社会は大きく変化すると前述しましたが、もしそうであるならば、当社にとっても先の3~4年は変化を強いられる時期となるでしょう。この勝負どころをなんとか乗り切っていきたいものです。
お客者に喜ばれる「ものづくり」で未来を創る
私の入社当時から比べれば、当社の企業規模や仕事の幅はずいぶん広がりました。しかしこれは特に「企業を発展させたい」「企業規模を拡大したい」といった熱意のもとで実現したわけではありません。言うなればお客様のご要望やご期待に応えるうちに規模が広がり、現在のメンバーが集まりという流れで現在に至っているのです。
そして、今後もその姿勢を崩すべきではないと私は思っています。大切なのはがむしゃらな野心よりも、お客様からのご要望があったときに応えられるということであり、そのためには、変化を受け入れる覚悟と、上を目指す向上心だけ持っていればいいのではないでしょうか。今のメンバーが同じ気持ちを持ち、同じ方向を向いて共に歩んでいけるのなら、来たる50周年、60周年に向けても順調に歴史を重ねられると信じています。