INTERVIEW

独自の理念で挑む“人材再生”経営

株式会社フリースタイル

代表取締役 青野豪淑

愛知県名古屋市を拠点にする株式会社フリースタイルは、独自の採用と育成モデルで“社会になじめない人材”をITエンジニアへと育てる成長企業だ。代表の青野豪淑氏が掲げる理念「いつからでもコンティニュー」には、彼自身の挫折と再起の経験から生まれた強い想いがある。人材育成と技術開発を両輪にしたユニークな経営手法には、多くの注目が集まっている。

下請けで培った技術をゲーム開発に

当社は、IT人材の労働力を提供するSES(システムエンジニアリングサービス)事業のほか、インハウスのシステム開発事業およびゲーム開発事業をメインに展開しています。メーカーの下請けで技術力を磨いた結果、ゲーム開発にも挑戦できるようになり、オリジナルタイトルが20万部以上のヒットとなりました。今年10月にリリースした第2弾も発売前から注目を集めており、大きな手応えを感じています。
ゲーム業界は、先行投資をしてもヒットが出るかどうか分からない難しい世界。当初の私は「余裕があるなら商品開発で夢を見よう」という感覚でしたが、部下たちが本気で挑んでくれました。ヒット作のある会社に転職すれば給料も上がるはずなのに、「いつかチャンスがあるはずだ」と信じて当社に残ってくれた。その姿勢には感謝しかありません。そして、ゲーム開発の費用を稼ぎ出してくれたITソリューション事業部のメンバーにも同じく頭が下がります。

人生が大きく変わった人との出会い

私が一番大事にしているのは「人を大切にする経営」です。なかでも、最大の強みは「未経験からの育成力」と「人を信じ、育てる組織文化」。採用ではIT未経験者や異業種の出身者を積極的に受け入れ、個々の可能性を信じて時間をかけて育てるスタンスを大切にしています。これは、自分自身の経験から生まれた理念でもあります。

私は偏差値の低い公立高校の出身で、卒業時の成績は400人中400位。学区内での“逆1位”でした。そんな状況でしたから、最初の就職先は精肉店。その後、営業なら自分の実績次第で高収入を目指せるといったところから、不動産営業の道に転身しました。頭が良くない分、人の倍は努力しないとダメだと思い、朝早く出社し、休日も返上で取り組みました。当時の上司はそんな私を見て、営業の方法だけでなく、スーツの着こなしまで教えてくれました。社長もわざわざ東京から大阪まで来て、私の質問に朝まで付き合ってくださったこともありました。「真面目だから成功するよ」と勇気をくれたことは今でも忘れません。そんな愛のある周りの人たちの出会いをきっかけに、私の人生は大きく変わっていきました。また、勉強の仕方を教えてくれた師匠のような先輩との出会いも大きな転機でした。人生を変えたいという気持ちはもちろんですが、正しいことを教えてくれる人がいなければ始まらない。その経験から「人を大切にする」ことを経営の中心に据えるようになりました。

苦い失敗から得た「どんな人でも成功できる」

とはいえ、私自身も営業で好成績を出せるようになったからといった、すぐに起業できたわけではありません。大きな失敗も経験しています。「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉を昔からよく聞いていたせいか、20代で得たお金はすべて勉強に。自分自身の投資に使おうと決めていたので、当時のボーナスをすべて自己啓発セミナーにつぎ込むなど、贅沢を一切せずに全部自己投資にあてていました。営業方法はもちろんですが、経営学や心理学など、勉強できるものは無作為にすべて。仕事が終わったら、セミナーに行って、いろんな会社の社長に会って、夢のかなえ方を聞くといった忙しい日々を過ごす若者でした。

ところが、投資しすぎた結果、いつの間にか「夢をかなえたい」という目標が「お金が欲しい」に。「早く契約してほしい」という欲にまみれてしまい、今思えば目がドルマークになっていたのでしょう。営業マンとしては一番よくない顔つきになったことで、最終的には天才的営業とまで呼ばれた会社を退職。その後も営業職に就くことができず、コンビニエンスストアのアルバイトも落ちる挫折を味わいました。ですが「迷惑をかけたまま終わるよりも、残りの人生で恩返しがしたい」と再び歩き出すことに。あの経験があったからこそ「人生は失敗してもやり直せる」「誰でも成功できる可能性がある」という考えが自分の軸になりました。

「救いたい」から始まった独立・起業

起業のきっかけは、名古屋の繁華街で働いていた時期にあります。そこには、社会からはみ出した若者が多く、そんな彼らを「助けたい」と思うように。具体的なスキルをつけることができれば、会社勤めができるようになり、社会に適合できるのではないか。そう思い、彼らにプログラミングのスキルをボランティアで教え始めたところ、「青野さんが社長になれば、私たちをクビにしないですよね」と言われ、それが起業の決め手になりました。お金が欲しいから社長になるのではなく、こういう子たちを救いたいから社長になる。一歩踏み出すための環境さえあれば変われることを証明しようと思ったのが、当社が生まれた原点です。

フリースタイルという社名も、当初は「何でも屋」といった意味がありました。実を言うと、社員が食べていけるのであればITである必要もなかったんです。人を助けたいが一番で、サービスは二の次。たまたま私が得意だったのが、ITだっただけ、というところでした。それもあって、個人的にはおそらく数年でつぶれるだろうと。社員には「うちを踏み台にして、もっといいところに転職しろ」とよく言っていました。それも、愛ゆえの言葉でしたが、そういった私の愛情が伝わると仕事も楽しく感じるようで、社員のモチベーションも高まり、それがお客さまに還元される。会社自体の成長につながっていったのかなと感じます。

独自の人材採用方法を世界中に

5年後には、500~600人規模の会社になることを見据えています。そのために必要なのが海外展開。今は、情報収集を進めている段階ですが、その土地の文化を理解することは何よりも大切なこと。私自身、大阪から出てきて愛知で会社を立ち上げ、軌道に乗せるまでには苦労も多くありました。愛知の商いは「なじみ」の関係性から生まれる「信用」が大きな力を持っています。文化を理解して、それにあわせてやり方を工夫することでビジネスを前に進めることができました。海外展開でも、それと同じことが必要になっていくでしょう。

また、私たちが「人を大切にする」採用を続け、会社がより成長する結果を生み出すことができれば、今後同じような取り組みを真似する企業も出てくるでしょう。その企業が各地で私たちの独自の方法をローカライズしていく。その連鎖していく動きが、自分たちが思うグローバルであり、ローカルなのでは、と感じています。ねずみ算式に広がっていくように、同じような人材採用の仕組みが広まっていってほしい。そういった企業が増えれば増えるほど、これから起業する元気のある若者たちにも影響を与えられるのではないかと考えています。お金も商品も大事ですが、当社のような企業が増えれば、世界が少し優しくなるはずです。もし私が人を救い続けて、会社が倒産してすべてを失ったとしても、この行動は連鎖していくものだろうとも感じます。人間は資本主義で銭ゲバのように生きているように見えますが、意外とそうではなく、どんな人にも温かい心が奥底に眠っている。そういった心を呼び起こす存在になれたらとも思っています。最近はアメリカでも終身雇用制度が再評価されています。日本型の終身雇用にはマイナスもありましたが、安心感や家族的な温かさがあったのも事実です。そうした日本ならではのウェットな感覚も、グローバル時代には必要だと感じています。

愛を持って信じることを大切にしたい

「人を大切にする経営」では、入社後のフォローも大きな課題でした。以前は私自身が若者と膝を突き合わせて人生を語っていましたが、それでは限界があります。そこで人事部をオートマチックに機能させ、私が直接関わらなくても同じ効果が出せる仕組みを整えました。マニュアルを作り、回答集のような私の動画も200本ほど撮影。困ったときにはそれを見れば解決できるようにしています。その結果、当社の離職率は10%。平均離職率が29%というIT業界では、驚異的な数字を実現することができました。

当社の理念は「いつからでもコンティニュー」。経歴や過去の失敗で判断されがちな世の中ですが、誰かが「できない人」を信じることが必要です。自転車に乗れるようになったのは、親が「きっと乗れるよ」と信じてくれたから。誰かが愛を持って信じなければ始まらないの。その想いを、この理念に込めています。地域に根ざしつつ、世界とつながる存在を目指し、また誰もが失敗を恐れずに再挑戦できる社会を実現していきたいと考えています。

株式会社フリースタイル

代表取締役

大阪生まれ。6人兄弟の末っ子。貧しい環境で育ち、早く自立したい思いから高校卒業後に大手食肉店へ就職。昇進目前に業績悪化を機に営業職へ転身し、好成績を収めるも自己啓発セミナーに傾倒し生活が破綻。どん底を経験し、利己的な生き方を見直して人生の再起を決意する。「世のため、人のために生きよう」と社会になじめない若者の社会復帰を支援。その延長で2006年に株式会社フリースタイルを設立し、ITスキル習得と技術者育成の仕組みを築く。