INTERVIEW
近江のちゃんぽんをニッポンのちゃんぽんに!
ドリームフーズ株式会社
代表取締役社長 山本英柱
琵琶湖を囲む近江国、その東岸で一際栄えていたのが彦根である。今でも古い街並みが残る歴史ある古都から世界へ、「ちゃんぽん」で打って出ようという企業がある。近江ちゃんぽん亭を展開するドリームフーズ株式会社だ。逆風を追い風にして事業拡大をしてきたのは代表取締役社長 山本英柱。苦戦が続く外食産業で、近江のご当地グルメで世界進出を目指す、その青写真を聞いた。
滋賀県民のソウルフード「近江ちゃんぽん」
彦根駅前に常に行列のできるお店があります。「麺屋をかべ」という小さな店で、ちゃんぽんが名物です。和風スープに中太麺、たっぷり野菜と豚肉が載った「近江ちゃんぽん」はあっさりしていて食べやすい。昭和38年の創業ですが、今もその人気は絶大です。縁あって私の父がお店を引き継ぎ、「ちゃんぽん亭をかべ」としてチェーン展開を開始し、現在では滋賀県内に31店舗、近畿を中心に52店舗を運営しています。
ちゃんぽんといえば長崎を思い浮かべる方も多いと思いますが、滋賀には近江ちゃんぽんがあります。私たちは近江ちゃんぽんの名を広めようと懸命に今日まで事業を育ててきました。その甲斐あって、滋賀県だけでなく全国でも少しずつ近江ちゃんぽんのブランドが広がってきたと実感しています。滋賀県民のソウルフードといえば近江ちゃんぽん、今後もさらにそうした声が聞かれるようになっていければと願っています。「近江ちゃんぽん」は、ご当時グルメとして味だけでなく、基本的に滋賀県産の食材にこだわりながらできる限り地産地消を推進してきました。近江ちゃんぽんを通じて、滋賀のおいしさを全国に届けています。
MBAを取得し帰郷 勝負の2004年
当社は父が創業者ですが、放任主義で将来についての言及はありませんでした。そのため、経営で成功したいという願望が強かった私は、大学卒業後に米国へ留学。当時の米国はITバブルの只中で、刺激的な毎日を送ることができました。帰国すると名古屋でIT教育事業を起業しました。経営はうまくいっていたのですが、ビジネスを学び直したいという気持ちもあり、東京に出てMBA取得のために大学へ入学しました。
そこで出会ったのが、キャリアのある東京のビジネスマンたちです。名古屋から出てきた私には新しい刺激ばかりでした。学生とは言っても社会人学生は仕事をしなければなりませんので、昼はバイオベンチャーのコンサルティングファーム、夜は学業という二足の草鞋を履きながら、約2年間を有意義に過ごしました。卒業を間近に控えた冬に父は、私が帰郷することを信じて周囲に触れ回っていたそうです。父は全国展開の準備を整えていて、私自身も経営を学び、その成果を試すチャンスだという気持ちがあったことは間違いありませんでした。先に外堀を埋められた格好ではありますが、会社にとっても私にとっても挑戦の年が明けました。
近江から全国へ その機は熟した
当時、日本全国でショッピングモールが次々とオープンしており、タイミング的にも追い風が吹いていました。色々な引き合いもあり、チャンスをいただける機会が数多くありました。近江ちゃんぽん亭も滋賀県内では認知を得てブランド的にも商品的にも完成されつつあり、まさに機は熟していたのだと思います。当時は会社自体も若く、私もまだまだ事業承継者としてスタートを切ったばかりで、若い力を全国で試してみたいという気持ちが沸々と湧き上がっているような空気がありました。そのような時期に私が重きを置いていたのは、商品力だけでなく価値そのものです。外食業界の熾烈な競争下に身を置く以上、美味しいだけで勝負できるとは思っていません。決して甘くはない世界なのです。商品は模倣できるものですし、いくら商品力があったとしても、永続的に差別化を図ることは不可能でしょう。だからこそ、お客様の体験価値をどのように高めていくのかを最大のポイントとしました。
当時、弊社には職人気質な風土があり、まずはそこを変えていくべきだと考えました。美味しいものを作るだけでなく、美味しいものをお客様へと繋いでいくことを重視しました。その結果、接客や店舗管理を含め、総合的な美味しさを追求しています。この思いの表れが、「おいしいをつくる、つなぐ」というスローガンです。
遠慮がちな県民性を乗り越えて
全国進出をしていく中で直面した壁は、ライバル「長崎ちゃんぽん」の存在でした。お客様からは、思っていたちゃんぽんと違うといったお叱りを受ける場面もありましたが、これはまさにブランディングの課題であり、解決しないと永遠にライバルを追い抜けないことになります。滋賀県発のちゃんぽんもあると認知させるために、社内からは様々なネーミングのアイデアが挙がりました。彦根ちゃんぽん、滋賀ちゃんぽん、信長ちゃんぽんなどありましたが、私は「近江ちゃんぽん」を提案しました。社内では「近江と銘打つのは大きく出過ぎでは?」という声も挙がりましたが、私の考えは大きく謳い、そこに向かって邁進していくことでした。
彦根市の人口は13万人、新しい顧客がどんどんくるような土地柄ではありません。その中での最重要ポイントは、リピートしたくなる店づくりであり、近江ちゃんぽん亭のベースはそこにあります。また、出店戦略は二正面作戦を採りました。全国展開と同時に地元滋賀のナンバーワンになり、ご当地グルメとしての評価を高めていくことに注力したのです。それから10数年を経て、今では滋賀県民のソウルフードとしての多くの高評価をいただけるようになりました。
外国人従業員にも夢を与えるグローカル企業へ
これまで弊社は順調に出店を重ねることができていますが、外食産業全体で見れば厳しい時代だと言わざるを得ません。特に外食産業は人材不足が常態化しています。そのため弊社では、外国人従業員の雇用にも積極的に取り組んでいます。現在は外国人採用が全体の25%を占め、私たちの事業が成り立っています。そうした状況下で必要不可欠となるのは、サービスの質を変えていくことです。飲食店のサービスは接客が主であり、最も重要な部分です。その部分で日本人と同じ対応を外国人に求めるのは容易なことではありません。そこで私が考えているのは、お客様とのタッチポイントをできるだけ減らし、少ないタッチポイントで印象深いサービスを提供するというものです。近江ちゃんぽん亭では券売機での前会計システムを採用しています。これであればお客様とのタッチポイントは商品をお出しする瞬間に限られます。例えばとびきりの笑顔でお出しするという瞬間に特化したサービスが実現できれば、外国人従業員でも満足度の高いサービスが提供できます。
また弊社では、外国人従業員の幹部登用も行なっています。単に労働者として働くのではなく、外国から来た彼らにも夢を持って働いてもらいたいと思っているからです。いずれ彼らが母国へ帰るときに近江ちゃんぽんという一つの文化を持ち帰ってくれることは、私たちにとって、大きな喜びになります。世界進出の足がかりにもなるかもしれません。ローカルな地方都市からグローバルに羽ばたくチャンスというのは、今の社内活動から生まれると信じています。
近江食材を世界スケールで展開
コロナ禍は、外食産業に考え方の変化をもたらしました。外食事業一本では危ういという認識です。リスクを回避するために弊社では、食品産業にも進出を果たしました。創業約200年の歴史をもつ食品企業の株式会社マルマタ(現在の近江食品株式会社)とのM&Aを実現し、滋賀県産の食品を世界に向けて販売する予定です。外食事業と食品事業の二本柱で安定した成長を実現していきます。
「近江のちゃんぽんをニッポンのちゃんぽんに!」をスローガンに、彦根から滋賀、滋賀から関西、全国、そして世界へとスケールアップしていきたいと考えています。そのためには私たち自身が臆することなくローカル意識の転換を図り、グローバルに活躍する意欲とビジョンを持つことが重要です。環境は整っているので、チャンスを掴んで昇華させていきます。