INTERVIEW
ものづくりの最前線を、最後方から支援する
株式会社橋川製作所
代表取締役 橋川栄二

ものづくり業界の「駆け込み寺」として、さまざまな分野にソリューションを提供している株式会社橋川製作所。代表取締役の橋川栄二さんは、放電加工という特殊技術に将来性を感じ、家業の会社を放電加工事業に特化させた。世界から評価される日本のものづくりを存続させるため、特殊技術を武器に業界を支援し続ける橋川さんに、「ものづくり」への情熱と「人づくり」への想いをお話しいただいた。

高度なものづくりを支える放電加工技術
当社は1964年に「橋川ステンレス製作所」として創業し、当初は主にブリキ製品の製造を行っていました。その後1988年に私が入社し、1990年より事業を放電加工に特化して現在に至ります。放電加工とは、自然界の落雷現象をヒントに、放電パワーを金属加工に応用した電気加工法で、油液中で毎秒数千から数万発もの絨毯爆撃をすると、加工液が気化爆発して大量のマイクロバブルが発生し、その爆風衝撃で溶融状態にある金属表層部が剥離飛散するメカニズムで除去加工が進展してゆく。工具が直接触れないため、通常の切削工具ではできないような複雑な形状の加工が可能で、また超硬合金などの硬い素材にも高精度で加工を施せる点が特徴です。さらに当社では、高精度対応が困難とされていたセラミックスへの放電加工技術を独自に開発し、2009年に「中国経済産業局長賞」を受賞しました。メーカー様のニーズに最適なセラミックスを選定するサポートや、キリ折れやタップ折れなど、加工中に起こるトラブルにも、放電加工の特徴を活かして速やかに対応しています。
昨今は大量生産・大量消費の時代にともない、製品のモデルチェンジのスピードが加速し、技術も高度化しています。生産現場では人手不足を補うための自動化が進んでいますが、技術力向上には限界があり、より洗練された製品を生み出すためには、自社の力だけでは対応しきれないというのが現状です。私たちは、こうした数々の課題を抱えているものづくり現場の「駆け込み寺」として、航空や医療、半導体、生活家電、精密機器、さらには大学や研究機関など、幅広い業界の課題解決に貢献してきました。長年培った技術と経験をもとに、今日も日本のものづくりを最後方から支援し続けています。
損得を超えた「共存共栄」の精神
私は幼少の頃から会社の次期後継者として育てられ、工業経営学科へ進学後は、放電加工機メーカーで放電加工について学びました。橋川製作所を放電加工に特化した企業へとシフトしたのは、皆さんが自社では対応できない特殊加工を託せる「受け皿」になりたいと考えたからです。その想いは今も変わらず、常に「来るもの拒まず」の姿勢を貫いています。たとえ放電加工に直接関係しない内容でも、すべてのものづくりのお困りごとに対して、何かしらの解決策を提供したいというのが私たちの想いです。海外からもさまざまな依頼が寄せられるこの時代にあって、お客様のお悩みや境遇は多様化していますが、そこで損得勘定をするのではなく、学びの機会として捉えることで、技術や経験が広がります。この考え方が、今日の橋川製作所の技術力を築いたと言ってもいいでしょう。
過去には、金曜日の夜に「月曜日には試作品を中国へ持っていかなければならない」という急ぎの依頼を受けたこともありました。休日返上で仕事をするのは多くの人が避けたがる場面かもしれません。しかし、私はその依頼を当社への信頼として受け取り、自己成長のチャンスと捉えて全力で取り組みました。ビジネスにおいて損得勘定は重要かもしれませんが、植物が酸素を供給し、私達が吐き出す二酸化炭素を栄養源とするように、世の中は共存共栄で成り立っているものです。支え合いの精神を持てば、日々の仕事はより豊かになると考えています。

技術者としての感性を意識的に育む
オフタイムには、意識的に外へ出て自然や歴史に触れ、技術者として学びを深めるようにしています。たとえば、青森県の世界文化遺産「三内丸山遺跡」は、縄文時代の大規模な集落跡で、数百人が収容できる竪穴建物跡が複数発見されています。約5,000年前にこれほどの建築技術が存在し、さらにその集落が約1,700年も続いたと考えると、人々の知恵や工夫、そして勇気が詰まった歴史に胸を打たれる思いです。
また、最近では仏教からも多くを学んでいます。戦前の日本では、寺院が地域の学びの場とされ、数千巻にも及ぶ「一切経」が全国の寺院に保管されていました。そのため、当時の日本人は寺巡りをして学びを深めていたのです。この経典には、釈迦が説いた宇宙の心理が記されており、あらゆる学問や産業の根幹となる英知が詰まっています。たとえば、「自業自得」や「蒔かぬ種は生えぬ」といった教えは、失敗から学び、それを次に生かすための重要な指針となります。また、現代の学問は医学や工学、建築など細分化されていますが、仏教はそれらを超えた包括的な視点を提供してくれます。それは1人の人間として、また経営者として広い視野を持つためにも非常に貴重な学びです。このような尊い教えが、1,400年以上にわたって地域の寺院に残されている事実を、ほとんどの日本人は知らないことでしょう。そして寺院を維持する人手が不足している今、多くの仏教書が散逸する危機に直面しています。私が折に触れて一切経の話をするのは、この貴重な教えが社員をはじめ、多くの方々の役に立ち、次世代にまで伝わってほしいと願っているからなのです。
「ジャパンブランド」の誇りを忘れない
昭和から平成初期にかけて、日本の生活家電市場は国産メーカーが主流でしたが、現在の若い世代の家庭では海外製品が多く見られるようになっています。さらに、国産メーカーの製品であっても、製造は海外の工場に依存しているケースが少なくありません。かつて製品のモデルチェンジは、2~3年に1度が一般的でしたが、現代では2~3週間ごとに新モデルを発表するメーカーも存在するほど、商品のライフサイクルは短くなり、流通スピードも非常に速くなっています。その結果、国内工場だけで対応するのが難しい状況になっているのです。
それでも、日本のものづくりは「ジャパンブランド」として、今なお世界から圧倒的な信頼を得ています。この信頼は、ものづくりに対して一切の妥協を許さず、真心を込めてものづくりに取り組む日本人だからこそ築かれたものです。この「ジャパンブランド」に対する信頼を守りながら、私たちは世界中のものづくりの課題解決に貢献するスペシャリスト集団を目指していきます。歴史的な背景を持つこの広島という地で、世界中の人々のパートナーとして成長していくことは、大きな意義があるはずです。
技能の伝承と人間力の成長
当社は「ものづくりを通じて人づくりをする」という理念のもと、「可能性への挑戦と創造」をテーマに、日々向上心を持ってチャレンジを続けています。製品の小型化が進み、複雑で高精度な加工が求められる中、放電加工による超微細加工は依然として職人の手が必要です。そのため、職人の技術も常にアップデートされなければなりません。しかし、この勤勉さが求められる道のりこそ、海外では模倣が難しい、日本人ならではのものづくりだと私は思います。
今後の課題としては、特殊技能の伝承があります。ここで難しいのは、技術そのものは伝承できても、個人の感性や資質を変えることはできないという点です。私ができるのは、会社の環境を整え、ときには励まし、知恵を授けながら社員と共に歩んでいくことだけです。社員が抱える心の動揺や挫折をどうサポートするかは、経営者として重要な課題だと思っています。当社では、不良品をあえて目につく場所に置いていますが、これは失敗したときの心の痛みを忘れず、常に謙虚な姿勢で仕事に臨んでほしいという思いからです。ものづくりには失敗がつきものですが、あらゆる産業から信頼されるものづくりパートナーであり続けるためには、挑戦心や責任感といった人間力が、技術と同じくらい重要だと考えています。